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そしてこの条件とは、以下の二つに区分される。 一つは、外的自然。すなわち、あるがままの現実の物的世界。言い換えれば「空間」である。 もう一つは、内的世界。人間の自分自身の中にある「種」としての記憶である。すなわち、歴史であり時間である。人間自身の中にある内的で非現実的な観念の世界である。 そうした内的世界というのが、現実の空間の中からすがたカタチとなって現れてくる。それは自分とは別の、外の世界を通してのみ表現されるものなのである。 従ってまた、現実世界というのは、すでにあらかじめ定められていて、方向づけられてもいて、それしかあり得ず、それ以外のものにはなり得ないものとして、あらかじめ設定され条件づけられているのである。 そして、このような自分のなかの観念の世界が、目に見えるカタチとなって、現実の世界に現れ出てきているのである。それは、自分のなかの肉体の記憶がイメージやカタチとなって表現されているのである。思考でも意識でもなく、自分自身の身体の仕組みがそうなのである。 それは数万数億年に渡る、「種」としての歴史の継続が、その身体のカタチとなって保存されてきたものなのである。そして実は、これこそが種の根源であり、タマシイなのである。自己の理由であり、意味なのである。 |