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4、肉体の記憶。


そして、それがなにかと言えば、自分と自分たちをとらえて離さず、絶対的に強制してくる「種の記憶」なのである。数千数万年に渡って形成されてきた、そしていまでも自分の中で生き続けている、そうした種の記憶を通して、いまの現実を見ているのである。

いまを生きている自分自身というのを、「種」という外の世界から見ているのである。そしてそれは、自分自身の肉体と身体の歴史であり、その現実のすがたカタチなのであり、そしてまたその記憶なのである。肉体の営みだけが覚えている、そうしたおぼろげでボンヤリした肉体自身の記憶なのである。

肉体が肉体自身を感じて、恐れおののき当惑しているのである。そうした自分自身の中で忘れられ消えていった、身体の記憶を通して現在の自分を見ているのである。見たくないのに見てしまうのである。

だからまた、いつまでたっても、それがいったい何のことなのか分からず、思い出すこともできずに、漠然としたままで残り続けているのである。自分をとらえて離さず、執拗に追い求め、迫ってくるのである。

戻る。                    続く。

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