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5、客観的な事実。


現在を生きている自分というのが、自分を素通りして、透過して、自分自身の身体の記憶を見ているのである。精神が身体から離れて、自分自身の現実のすがたを見ているのである。

自分自身の身体の営みを通して、自分自身の祖先の記憶を見ているのである。数千数万年に及ぶ「種」としてのタマシイの世界を感じ取っているのである。そうした祖先の記憶が現実の世界に現れ出て来たのが、いまの自分のすがたカタチなのである。

このような意味での「種」とは、自分の身体を支配しカタチ作っている生物学的な歴史であり、そしてそれが、営みとして受け継がれてきた自分自身の現在のすがたカタチなのである。そしてまた、これが自分自身の身体なのである。

戻る。                    続く。

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