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だから意識はアテにならない。それ以前の、意識の届かない世界をの覗(のぞ)いて見なければならないのである。そして実は、これが自分自身の考えや意識といったものを作りだしているのである。 そしてこれが自分自身のなかにある肉体の記憶なのである。思考や意識としてではなく、情緒の世界としての感じ方や生理の営みがそうなのである。自分自身のなかの自律した精神の営みがそうなのである。 自己の存在の必然性がそうなのである。自分自身を生み出した「種」の歴史がそうであって、そしてまた、自分が生まれ育ってきた自分自身の歴史がそうなのである。 |