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自分がどこにも居なくなって、自分を見失い、自分が現実から消えて行ってしまう。それでも生きている現実の自分は、自分とはだれか別の他人であって、自分が他人に乗っ取られてしまったのである。自分が消し去られたのである。 自分の感覚や、自分自身の身体の仕組みや、その生き方と生活そのものが自分とは相入れない、自分とは敵対するものとして、自分に対立することになる。自分で自分を否定し、自分で自分に敵対することになるのである。自分が自分で無くなるのである。 だから、すがたカタチは変わっても自分自身は、自分の感覚や身体といったものは、また、自分の記憶や経験といったものは、自分のものであり続けるのである。もしもそうでなければ、自分が自分でなくなってしまうのである。 だからまた、これだけはどうしても受け入れられないことなのである。カンベン出来ないことなのである。自分は自分であり続けなければならず、自分は自分でしかなく、それ以外の者になれないのである。その肉体も精神もそうなのである。そこから離れたところに自分は存在し得ないのである。もともとそのように出来ているのである。 |