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このような自分自身の成り立ちや理由から離れて、自分というのは存在しないのである。だからまた、いくらすがたカタチが変わっても、自分は常に自分であり続けるのである。 また、このような自己の根源から離れたところに自分自身というのは存在し得ず、また、自分自身の根拠も理由も失われて、自分というのを喪失してしまうのである。 だからまた、反対に言うと、このような自分自身の根源を喪失したところに、真の意味での存在も、生活も、自律した自己の必然性もないのである。つまり、自己の潜在的な可能性といったものを喪失しているのである。 しかしまた、そうして自己を使い果たして全(まっと)うしてゆくのである。それ以外になく、そうするしかないのである。他に自分が生きて行く方法が現実の世界にないのである。自分に存在の理由が失われていて、そして、その必然性が消えて無くなってしまったのである。 |