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8、思考。


もちろんそれは、もともとその文明になかったものかも知れないし、あるいは、どこかにあったものが失われたのかも知れないし、あるいは単に、思い出せないだけなのかも知れない。しかし結果としては、どれも同じであって、そのような潜在的な可能性の元になるものがなければ、それで終わるしかないのである。

何者にもなり得ないのである。成りようがないのである。それは、その文明が生まれ続いてきた、その現実の世界、すなわち、それの背景となった、その自然環境と生活の様式に深く根ざしたものなのである。というよりも、分けがたく一体化したものなのである。

そうである以上、自分は他の者になり得ないのである。ただ、思考の論理的な都合から分けて考えているのに過ぎないのであって、実体は同じものを、異なる視点から言い表しているのに過ぎないのである。

それらは、分けがたく一体化しているのであって、このような現実から離れた思考の世界に、自分自身の必然性も理由もあり得ないのである。だからまた、すがたカタチが違っても、自分が自分であるということに変わりがなく、また、変わりようがないのである。

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 続く。

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