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つまり、現実にあるもの、手に入るもの、利用できるものと言うのは、すなわち、当事者たる人間を取り巻いている現実の環境と自然条件のことを言っているのである。 そしてまた、それを透かして歴史的現実としての自分自身を見ているのである。自分で自分を見ているのである。自分自身の精神の世界を見ているのである。自分が必要とし、そしてそれを利用することが出来る、そうした自分自身の世界を見ているのである。 意志、あるいは心情といったものは、このような現実の物的空間を通してのみ現れることができる。そしてまた、そうしてのみ、それが自分の外の客観的現実となり得るのである。そして、これが人間にとってどうしても必要なものなのである。 見える現実世界というは、このような自分が求めたものなのである。現実とは、自分の感覚が必要とするものを映し出しているのである。そしてまた、それしか映し出すことが出来ないし、感じ取ることもできないのである。感覚そのものが、始めからそのように出来ているということなのである。 これが、歴史的現実としての自分であると共に、そしてこれが、現実の物的空間を通して現れ出てきているのである。そして精神は、このようにして自(みずか)らを現わして来るのである。 |