index< 日誌 < s設定 < 20-19「続、ネアンデルタール人。」p9- |
だから、表面上は国民であっても、本人たちはそれを嫌がり拒むのである。中東のクルド族がそうであり、かつての独立前のアルメニア人やユダヤ人がそうだったのである。あるいは、国家が定めた規格外の者、すなわち、少数民族、異宗教、同性愛者、障害者、戸籍のない私生児・・・等々がそうである。これらは国家が定めた枠の外の存在であり続けたのである。そしていまもそうである。 自分たちが何かしらの主権を持った国民たることを拒絶するのである。なぜなら、この場合の主権とは、自分たちへの迫害と差別を正当化するものでしかないからである。だからまた、拒絶するしかないのである。 現在の常識が言うところの、自分たちが「なに者」かであるという常識を否定するのである。それは規格外の者にとっては出来ないことであるし、またそれは、権力から押し付けられる嫌がらせでしかないのである。それは国家が定めた、迫害されるだけの「なに者」でしかないからである。 しかしそれは、現在の私たちの価値観だけが正しいのではない、ということなのである。価値観や常識は時代によって大きく変わるものなのである。ただそれに気づかず知らず、ただその時代を生きる自分たちの都合で、そう思い込んでいるのに過ぎないのである。 |