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3、カラッポ。


それは近代という、規格量産化され、均一・均質化された人格というのが最良とされる、そうした時代の夢物語に過ぎないのである。私たちは、そうした世界を目標とし、そしてそれを最良のものとして目指してきたのである。

だれもがそうして一つになってガンバルってきたし、また、ガンバってこれたのである。そうして群れて、団結して、序列化して、上下の関係を作り出し、そしてまた、「仲間でない者」を作り出して排除してきたのである。

落ちこぼれやお荷物として蔑(さげす)んできたのである。陥れ、辱めて、そして「踏み台」にしてきたのである。そしてこれを自分たちのステータス(社会的地位)としてきたのである。自尊心と自意識の拠りどころにしてきたのである。
そして、それが当たり前の常識のように教育されシツケられてきたのである。頭の中がカラッポで、自分の考えというのを持たない人間を拡大再生産してきたのである。「受験勉強しか知らない、世間知らずのオボッチャマ」だけが優遇されてきたのである。そしてこれが近代国家がもたらした「主権」の日常なのである。

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  続く。

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