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5、精神。


しかしまた、そうしたことが自分にとっての精神なのである。自分が自分であるという証明なのである。自分が、自らの自律したリズムに従ってて生きている、ということなのである。自分は他人と違う。自分は自分なのだということである。しかしまた、これこそが自分にとっての精神なのである。

このような変転する現実の様々な場面や出来事を透過して、そして、それら同士の間に共通する何かがつなぎがり合っていて、そしてそれが響き、反射し合い、共鳴し、広がって行く。そしてそれらを導いて行く共通の動機や必然性の方向といったものが、自分自身のタマシイの世界なのである。

こうしたことが、始めに述べたところの環境としての自然条件であり、人間が生きて行く、または生きている現実の背景であり、舞台なのであって、そしてまた、自分自身の内的な、自分でもどうにもならない歴史的・空間的な必然性なのである。そしてまた、これがタマシイの現れる場所であり、その現実のすがたなのである。

戻る。                      続く。

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