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自分の中の、自分だけの経験や記憶といったものが、不必要なもの、わずらわしく邪魔(じゃま)なものとして排除されている。そして、そとからムリヤリかぶせられただけの、すでにパッケージ化された出来上がりの、カテゴリー化された観念の世界を、自分の世界であると誤解し勘違いしているのである。 どういうことかと言うと、要するに、「自分の考え」を持たないということなのである。自分の中の観念の世界というのが、外からのコピーされたカテゴリーだけで成り立っているということなのである。だからた「なりすまし」でしかないのである。それ以外になく、また、それに気づくということがないのである。 それは、気づいてはならないことなのである。それは、この世界でのシツケなのであり、習慣であり、そして誰もが従わなければならない常識なのである。そしてこれが自分たちにとっての日常なのであり、また、日常でなければならないものなのである。 |
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