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すがたカタチとは、現実のあり様のことであって、それが論理的な秩序や規則を持つものとして人間に理解されてくるのである。また、たとえば、たとえ無秩序に見えていても、そうした無秩序であること自体が、このような世界にとっての一つの秩序ともなっている、というようにである。 それは、人間にとって見れば、論理的であるということ、何らかの思考や考え方によって捉(とら)えることができるものでなければならない、ということなのである。そして、それを人間自身が必要としているのである。人間の側からの都合からしてそうなのである。 またそれは、見方にもよるのであって、見る者にとっての都合や視点、側面によって全く別のものに見えても来る。あるいは、自分にとって見れば、それまでとは全く別の意味を持つものとしても迫ってもくるのである。 |
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