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6、うつる。


こうした場合の「象徴」というのは、示唆とか暗示、あるいは傾向や必然性とでもいったものである。それらが、見える現実の世界を通して感じられ、現れてきて、そして見えてもくるということである。現実には見えないものを、観念の世界で見ているのである。

そして、それを見ているのは、見ている本人であって、こうして現実の世界と人間の観念の世界とが互いに反射し入り乱れ、映し出されて交流し合い、錯綜し、連動し、人間の無意識の世界の中から浮かび上がってきているのである。映り、移り、写り、そしてそれがまた、自分のことのように憑(と)りついてきて、そうして自分を支配し拘束し続けているのである。

人間は、人間がかかわりあうものだけしか見えてこないし、また、感じるということがないのである。人間の存在ということ自体が、そのようにして成り立っているのである。それは、物的・空間的な現実であると共に、文化的・歴史的な観念の世界でもあるのである。

戻る。                      続く。

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