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5、だれ?


それまでの習慣や日常、常識を捨てて、あるいはまた、それまでの道具や住居や食料の調達方法を捨てて、それまでとは違うライフスタイルや思考のパターン、習性を持つに至るということである。そしてこうしたことが正に「変わる」という意味であって、自分がそれまでとは別の「だれか」になる、ということなのである。自分が自分でなくなる、ということなのである。

もちろん実際には、そう簡単には進まない。それまでの自分を捨てるといっても、必ずどこかに残っているのであって、そう簡単には無くならないのである。気質気性といった自分でも意識されない無意識の世界の中に、何らかの記憶の断片や、正体不明の印象や象徴として残り続けるのである。

なぜなら、それが正しく「変わる」という意味だからである。変わるというのは、それでもどこかに自分を保存しているから「変われる」のである。もしも、なにも保存されていないとするならば、それは「変わった」のではなくて「消滅」したのである。

そして、消滅して何もないところから新たな何かかが生まれることが無いのである。それはあり得ないことなのである。生まれ様がないのである。生まれる元になるものをすでに失っているのである。だから必ずどこかに、元の自分が、すがたカタチを変えて残っているのである。

また、自分というのは、自分以外の者に成り得ないのである。自分が他人に成り得ないのである。自分が自分でなくなるというのは、それは自分ではない、ということなのである。そしてそれは、出来ないことなのである。

戻る。                     続く。

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