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7、可能性。


従って、地理的・空間的条件といったもの、そしてまた、それと同じく社会的・文化的環境といったものが重要である。人間は、知らず知らずのうちに、そうした環境に支配されていて、そして、それを意識することなしに生きているのである。

たとえば、中国・韓国・日本のような儒教社会がそうである。その土台となった稲作農耕の集団的共同作業がそうなのである。変化することを許さない、固定した上下関係だけの儒教世界がそうなのである。まただからこそ、このような秩序が数千年と続くことが出来たのである。

なにも変わらず、変わりようがなく、また、変わってもならない、そうした世界であり続けたのである。そして、そうした世界を支配し維持し続けてきたのが、上下関係だけの、徹底して個性を排除した集団的文化としての儒教世界なのである。「変わらない」というのが、この儒教世界の必須の条件だったのである。

そこからまた、人権も個人も存在しない、そうした世界であり続けたのである。従って、自己意識などと言ったものは理解されようがなく、それどころかあってはならないものであって、従ってまた、純粋科学や哲学といったものは生まれることも、理解されることもなかったのである。それは必要のない、それどころか社会の秩序を破壊する、災いのタネでしかなかったのである。

戻る。                     続く。

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