index< 日誌 < s設定 < 20-39 自己意識A


6、たましい。


しかしまた、そうである限り、それは主観性の囲いの中にとどまるしかないのであって、どこまで行ってもそれが、客観的なものとはなり得ないのである。そしてそれはまた、相手に対してそうであるように、自分自身に対してもそうであり続けるのである。

それは、現実の世界の中で、自分というのが客観的で普遍的な存在になり得ないことを意味している。タマシイ、または種としての自分自身を意識したり自覚することがないのである。そうした場面も、キッカケも、理由もない、そうした世界だということである。

つまり、同じことであるが、これを他の言い方で表現すると、自分の内なる自己意識に気づくことも、それが自覚さることもないということである。現実を生きる自分とは別の、そして、その向こう側にあるタマシイとしての、あるいは種としての自己を意識することがない、ということである。


戻る。                    続く。

index< 日誌 < s設定 < 20-39 自己意識A