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自分で自分を見たり感じたりする、といったことがないのである。そもそもないものを感じたり意識することなど出来ないのである。では、いったい何に対して感じたり意識したりしているのだろうか? 自分は自分というのを、他人を通して見ているのである。自分というのを、直接、自分自身で見ているのではない。自分が直接、自分に対しているのではない。自分と自分自身というのが直接に対峙するような関係にないのである。自分のなかで自分が分裂していない、そうした世界なのである。自己意識がないというのは、このことなのである。 自己意識というのは、キリスト教における「神」の考え方に近いと思うのであるが、東アジア儒教世界においては、そのような考え方は存在しないのである。 |
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