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「存在」そのものが、それぞれにとって異質な別の世界を生きている、ということなのである。しかも、このような信仰ないし「信じるもの」といったものが、観念の世界のなかでは、それぞれにとっての個人の世界であるにもかかわらず、現実には、同一の現実世界を共に生きなければならない、ということなのである。だから、ガマンが出来ないのである。 異なるシステムとその秩序、異なる順序と序列といったものが、自分を追い詰め、自分の立場や居場所といったものを浸食してゆくのである。そして自分を辱め陥れてゆくのである。システムも秩序も序列も、自分たちが生きて行く上で同じものでなければならないのに、それを、自分たちとは異なる、違う存在が破壊してゆくのである。 しかし実際には、そうした異質なものが両立し得ない、というのではない。自分にとっては両立しないというだけで、客観的に見ると必ずしもそうではないのである。それは、自分が両立し得ないと思い込んでいるというのと、そしてまた、実際に、彼本人にとって見れば両立し得ないのである。 相手がそうなのではなくて、彼自身がそうなのである。彼自身に問題があるということなのである。また、そうである限り、両立しなくて当然なのである。変化する現実に合わせて自分もまた変わらなければならないのである。そしてそれが出来ないということなのである。もともと、それが出来ないように出来ている、ということなのである。 |
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