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自分というのが、それまでとは何か別の者にならざるを得なくなっている。そうしてのみ生きて行くことができる。そうした、それまでとは異質で未知の新たな生態的地位へと入って行く。生態的地位とは、現実世界での自らの居場所であり、生物的・肉体的生存の条件であり、前提なのである。 そうしてのみ現実の世界で存在し得るのである。生きて行けるのである。それは現在の日本社会においても、そのまま言えることであって、自分というのが、どこかのケイレツに属さない限り生きて行けないのと似ている。 仕事を得て収入を得るにも、あるいは、何らかの人間関係を築くにしても、上下の関係という「ケイレツ」に属さない限り、社会の中での「居場所」というのが保証されないのである。そうでない限り、それは自分たちでない者、仲間でない者、よそ者なのである。 収入が干され、社会的序列から外される、すなわち「よそ者」なのである。生きて行けなくされるのである。社会から排除して、生きて行けなくしておいて、そうしておいて「自分で勝手に生きて行け」ということである。 |