index< 日誌 < aa暗示 < 20-52見えない世界B 神聖不可侵。


3、うつる。


それは、移り行きながらも千変万化する現実の世界の、ある一瞬の出来事に過ぎないのである。なぜならそれは、ものごとの表面的な移り行きなのであって、それが自分のなかで反射して映し写され移された、そうしたものごとの現れ方やその表現に過ぎないからである。要するに、形式的な外面に過ぎないのである。

ものごとの意味といったものは、あくまでも隠されたままだからである。カタチが現れた理由や意味といったものは不問のままだからである。見える現実とは、そうしたかくれた見えない世界の、一時的な仮のすがた、ただの移り行く幻のようなものに過ぎないのである。

そしてこの幻のような現実の世界、実際に私たちが生きているこの現実の、見える世界から、その意味といったものを、自分自身のなかから見つけなければならないのである。これが見えない世界なのである。

見える世界から、そこに隠された見えない何かを感じ取ろうとしているのである。自分にして見れば、そうするしかないのである。そしてそれが、自分にとっての精神の世界なのである。そうして自分で自分を知り、感じてもいて、そして自分で自分を見ているのである。

戻る。                      続く。

index< 日誌 < aa暗示 < 20-52見えない世界B 神聖不可侵。