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人間は、そうやって現実の世界に現れる。あるいはまた、そうやって自己の内的世界というのが、現実の世界を通して映し出されているのである。 言い換えると、現実の世界に実際にあるものを通して現れてくる。「ある」というのは、現実に存在しているものということであって、それが自分の意志や感じ方とは別に、客観的な事実としてそれ自身の都合で存在しているということである。それは自分では、どうにもならない現実としてそうなのである。 現実にあるものとして、それ自体の条件や制約、そしてその内的原理に拘束されているということである。そしてこれを他面から見ると、それらが類型やタイプ、種別として区別されて見えてくるのである。 広く一般的な類型や共通性として。単に目的や動機としての共通性ではなくて、形態や形状、様式やパターンの目に見える現実の共通性として見えてくるのである。もちろん、その共通性を通して違いといったものも知られてくるのである。そうして、印象というのが簡略化され符号化してゆくのである。抽象化されて行くのである。 |