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従ってそれは、どこまで行っても自分の都合と立場を反映したものでしかないのである。そうした意味で、それはあくまでも自分の主観と思いつき、思い込みに過ぎないのである。 しかしまた、そうやって自分を正当化し得るのであって、正当化してもいるのである。他に自分を正当化する方法がないのである。だからまた、そうするしかなく、そうして自分の地位と立場というのを保全しているのである。 だからまた、こうした場合の自分の存在理由といったものは、実に自分勝手で、偏見と主観に満ちたものでしかないのである。しかしまた、実は、これこそが自分という者の存在理由となっているのである。 このような自分とは、それしかなく、だからまた、そうせざるを得ず、他の考えや行動といったものを取ることが出来ず、そしてまた、それこそがいつも変わることのない自分であり続けるのである。日常の、あまりに当たり前の、そうした自分であり続けるのである。そしてまた、これこそ自分であると信じているのである。 |