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私たちが生きている現実の世界とは、このような具体的で実際的な条件や制約があって、初めて成り立つものなのである。なぜなら存在とは、自己と他者との関係であって、関係とは、制約や条件の境界線なのであって、他の言い方をすると、それがつまり、自己と他者との境界線なのであって、これがあって始めて関係というのが成り立つからである。 この境界線とは、実は、自己と外の世界との区別のことである。そうやって人間は自分を意識し、他者としての他人や自然環境を意識することが出来るのである。すなわち、自分自身にとっての現実というのを知ることになるのである。 人間は必ずしも自分自身の自律神経だけに支配されているのではない。自身の自律神経の限界を超える所では、外の自然環境によっても支配されコントロールされ、そして自分自身を調整している。そうした意味で人間は受動的で盲目的な存在なのである。 そしてこうしたことは、ある特定の地域に存在した歴史上の数々の民族についてもそのまま当てはまる。そしてこのような個別的で特殊なあり方が、まさしく現実の世界なのである。あるいはまた、このような固有で特有な存在の仕方が、個人や民族にとっての個性なのであり、現実だったのである。 |
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