index< 日誌 < au錯覚 < 20-76「錯覚」 |
たとえそれが、誤解で錯覚なのだとわかっていても、そうなのである。それは、この社会で生きる者が最低限、守らなければならないルールのように感じ取っているのである。事実、たしかにそうなのである。そうやって誰もが波風立てることなく、安心して平和でいられるのである。 これが、その社会が成り立つための前提であり、条件なのである。そしてここで生きる者にとっての、誰もが守らなければならない、共通の認識、共有意識なのである。また、そうやって、社会というのが成り立っていて、また、維持もされ、継続して行くことができるのである。 人間には、自分の存在理由がどうしても必要なのであって、その理由の善悪の良し悪しなどは、たいていの場合、どうでもよい二の次のことなのである。要は、現実の世界を生きている自分を正当化してくれるものでありさえすれば、理由の中身などはどうでも良い、関係のないことなのである。だからまた、そのようにしか理解されないし、自分に都合の良いようにしか理解されないのである。 |