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そしてこれが、人間が知ることができるもののすべてなのである。しかしそれは個人的な主観の世界でもあって、そうした無限に広がり繋がり合った主観の全体を、外から見たときに、これが客観性なのである。無限に広がる主観の全体を、これを一つの全体として見たときに、これを客観性と言っているのである。 そしてこれが、全体としての世界のバランスであり、客観性であり、必然性でもあって、そして原理なのである。従ってまた、そこで生きる様々な個人の能力や意志とはほとんど関係がないことなのである。これは個人の意志や能力とは別の客観的な原理であって、その必然性なのである。 しかしまた、このような個人の努力やその行為の積み重ねが、全体としての世界のバランスをカタチ作っているのであって、そうした意味で、それは偶然と錯覚だけが支配する、そうした世界なのである。そして錯覚とは、すなわち、イデオロギーのことなのである。偶然の錯覚が、それぞれにとっての観念の世界を作り出しているのである。 |