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5、境界線。


すなわち、これを外(そと)から見ると客観的な必然性として見えてくるのであって、しかしまた、これを当事者本人からすると、どこまで行っても主観的な思い込みに過ぎないのである。しかしまた、だからこそ、そうやって自己と他者の間に境界線がカタチ作られているのである。自己というのが、他人と異なる精神の領域を占有していると言えるのである。

個人が持つ考え方や行為といったものは、それぞれが自分勝手でバラバラであって、またそれは、時代によっても地域によっても異なる異質なものである。だからまた、それだけが正しいと言えるものなどなく、その正否といったものは、時代と地域によって常に異なってもくるのである。

そしてこれらを結び付け関連付けているのが、偶然の錯覚なのである。そしてこの偶然も錯覚も、それ自体が無限の広がりと多様性・多元性をもつものとして、それらを全体として見たときに、それがある方向や指向性を持つものとして感じられてくる、ということなのである。

戻る。                   続く。

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