index< 日誌 < am種 < 20-09「消えた記憶」p3- |
それは、自分でも意味の持ちようがない、バラバラな出来事の記憶の、まとまりのないパズルのようなものなのである。だからまた、論理的に意味というものを持たず、持ちようがなく、まただからこそ、漠然としか思い出せないのである。バラバラで脈絡のない、気まぐれと思いつきに終始するのである。 しかし、よく考えて思いだして見ると、それらばらばらで漠然とした、とらえどころのない、無限の記憶の海のなかから、なにか共通なもの、どこかでつながり合っているもの、あるいは何らかの方向性といったものが感じられてくるのである。 それは自分自身であり、他の世界から孤立し隔絶したところにある、自分自身の「囲いの中」の世界であり、外の世界とは境界線で区切られた世界である。それは、自分自身というもののタマシイの世界であり、生命であり、無意識の内に閉じ込められ封印された世界なのである。 あるいは、自分自身というものをとらえて離さず、そして絶対的に強制している「種」の記憶なのである。それは、自分というのが、自分を外からながめて見て、始めて気づくことなのである。自分で自分を見ているのである。 |