――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<日誌<2011-1130-7 市
<妄想ワールド>秋・2011-1130 F 見える精神。 実際のカタチは何も変らないのに、 それが、常に変化して見える。 といったことは、人の顔も同じだ。 見る人のアングル(位置・角度)とか、 スポットライト(光源)の調整によって、 人の顔の表情は、様々に変化する。 同じことが、山々の輪郭についても言える。 しかし観察者が人の顔の表情に見るのは、 その人の内面世界である。 目に見える相手の顔の、様々な表情から、 相手の心の内面を感じ取るのである。 では、山の風景にもそうしたことが言えるか? そもそも、山の風景に精神の内面世界などない。 目に見える、ありのままの風景が、 山々の現実のすがたなのである。 しかし、それを見る側の「感じ方」がある。 見る側の「感性」の問題が、ここに深く関わってくる。 見る人の「物の見方」によって、 山々が見せるその時々の、印象の意味といったものが、 全く異なって来るのである。 それは、見る者の気分次第なのである。 観察者の心理状態といったものが、 大きく影響する。 さらには、観察者自身の精神のリズム、 「呼吸する精神の息吹き」のようなものもある。 そうして見ると、 この目の前の、山々の風景といったものは、 それを見る人の、心の中を移して見ている。 自分自身の、内面世界が反映されたもので、 精神の底から浮かび上がってきて、 それが、あらわに映し出されたものと、 言えないだろうか? 私たちは、風景を通して、 自分自身の内面世界を見ているのである。 |