――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<ルネサンスへ<2013-1118-3
それとハッキリ意識されるとか、自覚するとか、 そうした大事なことでもなくて、 どちらかというと、どうでもよいような、 そうした日常の風景。 そうした、ごく普通に過ぎて忘れてゆく、 そうした日々の連続。 はたして、それが何のことだったのかも、 どうしても思い出せないような、 そんな、どうでもよい、ありふれた日々。 指先のかすかな触れる感触や、 肌に感じる何かの気配や、 何かに反応して高なる心臓の鼓動の音や、 あるいは、カラダの中を駆け巡る、 毛細血管の流れの、異常で激しい律動。 あるいは、目の中で何かがはじけて、 パチパチするマブしさ。 そうやって、僕の肉体が何かに反応している。 それはいったい何の記憶だったのだろう。 オーケストラの奏でる音は、内面的である。 言葉とか理屈なしで、直接、心に響いてくる。 タマシイに直接語りかけてくる。 太鼓は心臓。打楽器は脈拍。 ピアノは軽い足取り。 笛は、タマシイのきしむ音。 吹奏楽は呼吸のリズム、躍動する精神の鼓動の音。 バイオリンは、毛細血管の流れのせせらぎ。 そうやって、自分の肉体に眠る感覚をかなでる。 自分でもよくわからない、正体不明で、 得体の知れない、何かの感覚が、表面に出てくる。 意識でも思考でもなく、それ以前の、 持って生れ出た、自分では、 もはやどうにもならない、 情感とか情緒といったものである。 それは肉体だけが記憶する、 感覚の意味といったものである。 自己の根源にあって、自らをとらえて離さない、 タマシイ(魂)のようなもの、 自己の本質といったもので、 それが何かのキッカケで、 ひらひらと舞い降りて来て、 幻のように、現れては消えてゆく。 現実を透過したところにある、 抽象的で観念的な、無意識の世界である。 |