――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<ルネサンスへ<2013-1118-6
もしもそれが肉体の記憶だとすると、 感覚が優先するし、意識を欠いた、 自他の区別のない、生理的な感じ方に終始する。 熱い、痛い、かゆい、冷たい……などといった、 「感じ」であって、「感情」ではない。 しかし、ふんわりした柔らかさとか、 心地よい、うれしい、たのしい、ムカつくといった、 情緒的な感じ方まで含めると、 それは、いまだ意識されずにいる「自己感情」、 いまだ自覚されずにいる「自己意識」を、 暗示している。 では、意識された自己意識とは何か? ここで、自己が分裂したのである。 自分の中で、自分で自分を見ているのである。 この自分を見ている、 他者としての自分とはいったい誰なのか? さめていて、無感情で、客観的で、 そしてまことに忌々(いまいま)しく、 呪(のろ)わしい、この自分の心の中に住む、 もう一人の他者としての自分とは、 いったい誰のことなのだろう? それは社会的存在としての自己意識であり、 肉体の中で歴史的に堆積してきた、 潜在意識である。類としての共有意識である。 忌々しく呪わしいというのは、 実に、このことなのである。不可解な、 自分ではどうにもならないことなのである |