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他者としての自分



もしもそれが肉体の記憶だとすると、
感覚が優先するし、意識を欠いた、
自他の区別のない、生理的な感じ方に終始する。
熱い、痛い、かゆい、冷たい……などといった、
「感じ」であって、「感情」ではない。
しかし、ふんわりした柔らかさとか、
心地よい、うれしい、たのしい、ムカつくといった、
情緒的な感じ方まで含めると、
それは、いまだ意識されずにいる「自己感情」、
いまだ自覚されずにいる「自己意識」を、
暗示している。

では、意識された自己意識とは何か?
ここで、自己が分裂したのである。
自分の中で、自分で自分を見ているのである。
この自分を見ている、
他者としての自分とはいったい誰なのか?

さめていて、無感情で、客観的で、
そしてまことに忌々(いまいま)しく、
呪(のろ)わしい、この自分の心の中に住む、
もう一人の他者としての自分とは、
いったい誰のことなのだろう?

それは社会的存在としての自己意識であり、
肉体の中で歴史的に堆積してきた、
潜在意識である。類としての共有意識である。
忌々しく呪わしいというのは、
実に、このことなのである。不可解な、
自分ではどうにもならないことなのである
 
 戻る。
                続く。



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