――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<ルネサンスへ<2013-1225-3 市市民センタ―
だがしかし、光が指し示す方向が、 複数あったらどうだろう? 光源が複数あって、 それぞれが別の方向を向いている場合である。 この場合は、自分で選んで決断しなければならない。 どちらへ向かうかは、自分で決めなければならない。 自分の運命は自分で決めなければならない。 逃げ道はないのである。 実に、めんどくさいし、負担だし、 責任が、かかってくるし、気が滅入る。 それはそれは、とってもつらくて苦しい重荷である これが、自由という名の正体であって、 だれもが無意識のうちに、本能的に逃げ出す、 「自由」という名の苦しみなのである。 (現在の日本に自由などなく、 あるのは政府とマスコミに対する、 隷属の喜びだけである) 光が導く方向が、 二つに分かれている場合、 どちらかが正しく、どちらかが間違っている。 闇から逃れる方向が、一つだけの場合、 それが絶対に正しいのであるが、 しかし、二つ以上ある場合、 どれかが正しく、あるいは場合によっては、 どちらも間違っているかも知れない、と思えて来る。 つまり、唯一絶対という考え方が、 成り立たなくなるのである。 真理は絶対ではなくて、相対的で、 わがままなようなものに思えてくる。 |