ルネサンスへ<2014-1204 歴史、 ( 市)
このような場面は、例えば、 日の出(朝焼け)と、日の入り(夕焼け)にも言える。 およそ、よく似ているのであるが、 それ以上に、まったく正反対なのである。 現実が方向性を持つということは、 前後の時間の流れと、その時のシステムによって、 世界が支配されている、ということである。 だとすれば、こうした世界に現れる様々な出来事、 あるいは、個体とか個性といったものは、 取捨選択されざるを得ない。 個性ないし個体といったものが、 死ぬか生きるかといったことは、 その本人にしてみれば、預かり知らぬ、 偶然だけが支配しているのである。 本人が死ぬか生きるかというのは、実は、 その時のシステムの都合によって、 決定されるのであって、 本人が決める事のできるものではないのである。 だれでもよい、だれかがそのクジを引かされ、 当たり(死に)、またはハズレ(生きる)のである。 こうした意味でそれは必然なのである。 いったい、「だれが」というのは偶然であるが、 「だれでもよい」というのは必然なのである。 だれでもよいから、その荷物を持たされる。 荷物を持たなければ、歴史が前に進まないのである。 この、だれでもよいから「持たされる」というのが、 必然なのである。 戻る。 続く。 |