(  市)ルネサンスへ<2015-0213-a-2 夏の暑さ、



② むし暑さ。


夏のむし暑さ、熱をもつ湿気というのが、
まるで何かの、生き物のようにカラダに迫って来て、
追いたてて、やりきれなくさせるのである。それは、
熱と湿気を多量に含んだ空気というものが、そこに住む、
生命との交流を、強制的に迫っているのである。
実際、その通りで、植物と外気は活発に反応している。
水と熱が反応して、熱く湿気て、いたたまれず、
そして、豊かな栄養源を求めて、あらゆる生命が極限にまで、
活発に活動している。

熱くて、蒸れて、いたたまれず、
そして、ありあまる豊かな栄養源を求めて、
あらゆる生命が活発に活動している。そして見上げると、
太陽が地上を熱く照らして、焼いていて、より一層、
何かに追いたてられている、感じがしてくる。

だから、夏のむし暑さは、
自己が外に向いて開いていて、外の世界を目指している。
カラダが活発に外気と交流していて、
精神というのが、外に出ていて、迫る自然に対して、
むき出しのままでさらされながらも、それに逆らって対抗している。
だからやはり、精神は外へ向かわざるを得ず、
開放的で行動的になってしまう。意志的でも理知的でもなく、
感情的になってしまうのである。そうした、
移り気な感情の起伏そのものを求めるのである。

夏の、むし暑さというのは、生命、あるいは精神といったものが、
外の世界に対して対抗的である。張り合って争っている。
有無を言わせぬ暑さは、何もせずにじっとしていると、
ひからびて枯れてしまうのである。それは、死を意味する。
そしてそれは、生理的・情緒的な意味でも、そうである。
だから、活発にならざるを得ない。そうした、むし暑さなのである。
そうしないと、ケジメがなくなって、だらけて、ふやけてしまい、
精神的にも肉体的にもまいってしまう。
何もせずに、じっとしているとは、こういうことなのである。
だから反対に、行動的、対抗的にならざるを得ないのである。

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