(  市)ルネサンスへ<2015-0417b 目を閉じた世界、



2:輪郭線。

それはまず、輪郭線(=境界線)があって、
そして初めて何かが連想され、印象に残り、
何か、意味あるものとして記憶に残る、
残ることができるのである。カタチとして、
思いだされることができるのである。
カタチのない色だけというのは、
なんのことかわからないのである。

まず、カタチがあって初めて、それが「もの」として、
自分に意識されてくるのである。
もちろん、なにか特殊で特徴的な色があって、
そこから、なにかが導かれ、特定されてくることもあるが、
きわめて稀(マレ)なのである。


「色」とは、その見え方として常に変化するが、
形は変わらないのである。何の色かわかっても、
そこに形がなければ、現実のものとは言えない。
「もの」とは、その背景と区別される、
境界線をもった輪郭が必要なのである。
境界線なしに、それ自体が自律した
必然性をもつことが出来ないからである。

例えば、気体と液体は、ものとして定まることがなく、
現実のものとして、固定されることがないのである。
それは、変化の「過程」を見ているのであって、
「もの」を見ているのではないのである。
境界線のないところに、
自己と他者の区別は存在しないのである。
「もの」とはこのことなのである。

そして、「カタチ」とは、
意識のなかで連続する論理のつながりであって、
自律した必然性が、それとわかるようなカタチとして
表現されたのである。だから、カタチとは必ずしも、
目に見えるものである必要はなく、
音でも、触れる感触でもなんでもよかったのである。
要は、それが論理的なつながりとして意識され、
感じられてくるということなのである。

 戻る。            続く。


ルネサンスへ