( 市)ルネサンスへ<2015-0417b 目を閉じた世界、
3:境界線。
ものとして意識されるには、それと、 周囲の背景との区別が生まれてなければならない。 最初は、背景の中から、それらの間に何の関係性も 見いだされないような、気まぐれと偶然性だけが 支配する世界である。背景の中から、 背景とは何か別のものが出てこようとしている。 混沌(こんとん)としていて、入り乱れ、錯綜し、 どうでもよく、どうにでもなるような、そうした、 なんの意味も持ち得ないような、意識の世界で、 何かがでてこようとしている。 それは、意識にまでいたることのない、気まぐれな感性と、 自分と他者が区別されることのない、感覚的なあいまいさと、 無意識なままの情緒が支配する感覚の世界である。 従って、なにもかも、すべてが何の意味も持ちようがなく、 自分の意識などは、どうでもよいことになる。 これが、ものを形(カタチ)として見ることのない世界である。 カタチがないというのは、 自分と他者を区別する境界がない、ということである。 自分の中で、自分とは別の異なる必然性を、 見つけることが出来ないのである。いまだ、自分と他者が、 別のものとして意識される、ということがないのである。 自分のなかで、自分ではない他者が迫ってくることもなければ、 あるいは反対に、自分が他者に吸い込まれてゆく、 といったことが感じられない。精神のなかで、 そうした圧迫とか吸引(呼び込み)を、 感じることも意識することもない世界である。 |