(  市)ルネサンスへ<2015-0501-b ぼやける、



6:外面のない精神。

だがしかし、その表現される結果から見ると、
観念的な思いこみから見る世界と、とってもよく似ている。
つまり、肉体の顔の表面から、内面世界が浮き上がってきて、
現れて、映しだされている。そして、その周りの辺部、
外面となる外側輪郭線がぼやけて消えているのである。そして、
そのなかから、顔の特徴と印象だけが、迫ってくるのである。
あるいは、その精神の内面へと、吸い込まれてゆくのである。

これは、何かの象徴として、他人の顔を見ているのであって、
その顔の表情や特徴から、自己の精神の感じ方を見ているのである。
自己の精神の問いかけに、外の世界が、
その見え方として答えている、と思えてくる。
それは、つまり、自分自身の心の中を見ているのである。

しかしこのような、いわば、
作りものの外面だけの「ぼやけ」といったものは、
実際には、テレビや新聞でよく見かける。というよりも、
そればっかり、それだけといったほうが実情に近い。
精神を表現する芸術家という者が、
ただの、コピペの達人になっている。
使い捨ての、なりすましになってしまった。
そしてまた、そうするしかない状況に置かれている。
初めは仕方なく、そしてそれが当り前になって、
いつの間にかそれだけが目的となる。
精神が自滅し始めて、気が付くと消失している。

どういうことかというと、内面だけをわざと強調するものだから、
内面といったものが空洞化してしまっている。
内面と外面の区別がなくなってしまっている。けじめがなくなって、
人格が消えて、自分と他人の境界線が消えている。

 戻る。                続く。


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