(  市)ルネサンスへ<2015-0508 感覚の偽善、



2:意味。


見ているすべてのものに意味があって、それらすべてを、
現実に見ているのであるが、実際には、
自分に興味のあることしか見ていないのである。
そしてまた、この見えているものも、実際には、
自分の記憶に基づいて、わかったつもりでいるのである。

いいかえれば、何かの思い込みとか
偏見に基づいているのである。自分の都合しだいで、
見えていたり、見ていなかったりするからである。
というのは、この自分にとっての「思い込み」こそが、
自分にとっての記憶であり、
自分が見ているものの意味だからである。

見ている、ものの意味というのは、
自分の思い込みや偏見と密接に結びついている。
なぜなら、それこそが、自分の感覚というものだからである。
視覚器官も、それに意味を与える意識や思考や感情も、
結局、自分だけのものだからである。
だがしかし、話はここで終わらない。
本当の問題は、ここから始まるのである。

 戻る。             続く。


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