( 市)ルネサンスへ<2015-0508 感覚の偽善、
3:様式。
感覚器官のこうした傾向、 見たいものだけを見ようとする傾向、 知りたい部分のみを知ろうとする傾向、 そうであって欲しいと望むものだけを強調する傾向は、 反対に、興味のないもの、必要でないもの、 どうでもよいものについては、無意識のうちに無視する。 たとえ見ていても。それと気づかずに、 見ていないのを常(ツネ)とする状態である。 ごく普通の、ありふれた、どうでもよいような、 日々の暮らしの中に、上に述べた感覚の傾向といったものが、 それと意識されることもなく、とけこんで、様式化され、 パターン化され、型にはめられてゆく。そうして、システムよりいっそう、 意識の深い奥底に浸透し、積み重なって、土壌となっている。 そして、表面的には、それと気づくことがないのである。 それは意識と、そして、 社会と文明の一つの様式といったものであって、 文明の一つの型、パターンなのである。 興味や必要、そして傾向、もっと言えば、 道徳や礼儀作法といったものは、そこで暮らす人々の、 文明の様式にかかわることであって、 感覚が、それを意識にもたらすのであるが、 それは同時にまた、意識は感覚に対して、 それを指示し、誘導しているのである。 そしてさらに、個人の記憶や経験といったものも、 その文明の様式、システムを通してのみ、 見えてくるし、理解もされてくるのである。 |