( 市)ルネサンスへ<2015-0529-b 自己証明、
3:他人。
それは、自分の肉体の中に宿る、精神の実体なのである。 自分ではどうにもならない、もう一人の自分自身の姿なのである。 まるで、いつでも、どこでも、 付いてまわる自分自身のカゲのような存在である。 顔やすがたの表面に映る濃淡のカゲ(陰)、 地面に落とされる暗いカゲ(影)もそうである。 どちらが本当の自分なのか、わからなくなるのである。 自分の中に住む、もう一人の自分に、恐れ、おののき、おびえている。 自分が、呑み込まれてしまいそうに、思えてくるのである。 見えるものでも、見えないものでもなくて、 その境界線上にある、「肉体の記憶」だけで作り出される、 観念の世界の映像。幻視、ないし神経障害、 あるいは視覚が錯乱しているのかも知れない。 思い込みと、異常なまでの執着と偏見、 とらえどころのない、果てしない、自分でもわけがわからない願望。 そうした、目的が見つからない願い。理由なき願い。 そうした、わけのわからない願いが、ないものを、 あるように見せている。あるいは、もともとあったもの、 忘れられたもの、失われたものが、思い出されて見えてくる。 どこにでもあるような、どうでもよいようなことが、何かの印象、 象徴のように思われてきて、なにかを連想させ、予感し、 暗示し、示唆している。そうして、導かれ、誘われるままに、 それを受け入れている。そしてそれが、何かの場面ではっと、 気づかされるのである。いま生きている自分は、 他人なのかも知れないと。 |