( 市)ルネサンスへ<2015-0710 (怪談) 目の中、
2:忌々しい。
そして、それが誰かというのは、わからないけれども、 おおよそ察しがつくのである。その正体が何なのかというのが、 わかるのである。そして、それは実際にどうでもよいことなのである。 それが実際に「誰か」というのが、わからないけれども、 それは、どうでもよいことなのである。誰でもよい、誰かであって、 誰にでもなれる誰かであって、誰にもなれない誰かなのである。 だから結局、どうでもよい人間なのである。 それは、つまり、現実に存在しない人間なのであって、 自分自身の心の中にのみ存在する人間なのである。 そして、こうした人間は、誰にでもなれるし、誰にもなれない、 人間なのである。現実に存在しないし、にもかかわらず、 いつでも、どこでも、影のように付きまとっている、 忌々しいだけの存在なのである。 だから、それは、「誰か」と特定できないのである。 そんなことはどうでもよいことで、だれでもよいことであって、 どこのだれもが、みんなが、常に感じ持っている、 人間の影のようなものなのである。人間である以上、 だれもが持っているもの、としか言いようがないのである。 それは、自己意識というのが、自分の影として感じられ、 象徴化されているのである。精神が、現実から離脱して、 自分自身を見ているのである。だから、 いくら目を凝らして見ても、それが誰かというのがわからず、 その目、というのが見えてこないのである。当然なのです。 それは、自分自身の精神の姿(すがた)なのだから。 |