( 市)ルネサンスへ<2015-0710 (怪談) 目の中、
4:思い込み。
それは、よくよく考えて見なければならない。 人間というのが、現実にないものまでを見ているのである。 忘れられた肉体の記憶として。 そして、それが感覚として生成されてきた、 生理的機能の特徴として。自分の感覚そのものの中に、 自分自身の肉体の記憶と経験を見ているのである。 しかし、こうしたことが、 個人的な主観や「思い込み」であると考えるのは間違っている。 なぜなら、私たちが生きている現実そのもの、暮らしそのものが、 このような「思い込み」の産物だからでる。自分が生きている理由や、 居場所、必然性もそうである。そしてそれが、あやしい、 偽善のまやかしだと気づいたとき、自分が誰かわからなって、 見失ってしまう。ウソでも、偽善でも、なんでも構わない、 なんでもよいから、理由を与え続けなければならないのである。 シキタリや習慣、法律や約束事も、このような思い込みの、 大多数の人々による無言の合意の産物なのである。 そうやって、この、実にしらじらしくもわざとらしい、 現実という舞台の上で、自分に与えられた、 役割を演じ続けるのである。だからまた、 自分が他人のように思えて来て当然なのである。 |