(  市)ルネサンスへ<2015-0807-b-0814 夢の中、



5:自己完結。


自分と他人との区別が限りなくあいまいで、
透明に近いものになっている。本来、人格の内部にあるはずの、
自己意識というのが、見当たらないのである。どこを探しても、
その痕跡すらも残っていないように、思えてならないのである。
もともとの始めから、自己意識といったものがないのだろうか?
もともとの精神の領域の中で、自己意識が存在する余地が、
居場所そのものがなかったのだろうか。あるいは、その本来の、
精神の仕組み自体が、それを必要としなかったのかも知れない。
要するに、自分の考えというのを持たないのである。

自分と他者との間にあるはずのケジメ、境界線、
区別といったものが、限りなく不明瞭なのである。
ぼんやりしていて、ぼやけたままなのである。
だから、なにをやっても、聞いても、いつも何か
一番肝心なところが欠けていて、ハッキリしないのである。
いつも、他人に同意を求めるだけで、
自分で判断して決断する、といったことがないのである。


      ×              ×


だれも、だれ一人として、
決断もしなければ責任も取らないという世界である。
有史以来、独裁者は一人も生み出さなかった。
唯一の例外だった、織田信長は権力を握った途端、
暗殺された。革命は一度もなかった。
世界史上唯一の例外として、王朝の交替がない
(万世一系)。統治の空白による、
公然の無政府状態が現出されることもなかった。

そしてたとえば、軍事要塞としての城は軍人を守るのみで、
住民を守るための施設であったことがなかった。
まことに、ユーラシア大陸の歴史の常識からすると、
まったく理解に苦しむ。うらやましさと妬(ネタ)みと、
ため息の出てきそうな世界である。

このような情緒、そして文化的特質。日本のどの時代、
どの地域で何が起ころうとも、いつもこの島国、
日本列島の中で終始し自己完結する。そうした世界。

 戻る。              続く。
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