( 市)ルネサンスへ<2015-0807-b-0814 夢の中、
6:オキテ。
自己と他者の区別。そして、そこから生じてくる 自己認識(アイデンティティー)といったものが、 自己と他者との関係というよりも、 島国日本と大陸との関係で意識され、 形成されてきたのではないだろうか。 だから、日本人同士の間での自己意識 ないし個人意識といったものは、きわめて希薄で、 むしろ、外国(大陸)との関係で、自分というのが 顕著に意識されてくるのである。島国日本の中においては、 むしろ、自己意識というのは忌み嫌われる。 そうした意味での個人のアイデンティティーは、むしろ、 外国との関係で強く意識されてきたと言える。 外国(=大陸)に対する対抗意識といったものが、 同時に、自分たち内部での自意識をあいまいにし、 結束させ、群れ化して、個の自意識といったものを 消し去っていったのではないだろうか。 個人というのを、必要のない、気づかないものに していったのではないだろうか。 日本では、個人意識とか個性、 自己主張といったものは、むしろ、 徹底して忌み嫌われ、排除され、隔離される。 社会的にも、経済的に追いつめられ、 無視され、窒息させられ、世間の安定と みんなの「和」を乱す者として、抹殺させられる。 口にも態度にもださないが、結局、 だれからも相手にされず、 貧困と孤独のうちに押しつぶされ、 自滅してゆく。それは日本のオキテ、 暗黙の了解、無言の合意事項である。 だれも口にださないが、だれもがよく知っている、 日本の常識である。 |