( 市)ルネサンスへ<2015-0911ーb 早春のまぶしさ。
2、指向性。
このような春の日のまばゆさにくらべると、3月の太陽の光、特に逆光といったものは、ひとことで言って、強制的である。意志的で強力で、そして強制的である。そして、なにかを目指し、むりやりそれに向かって引っ張っていくような、そうした指向性をもった、意志的なまぶしさである。 自分自身というのが何かにせっつかれ、おいたてられ、そしてまた、それが何かを問われ、自分がとまどったり、ためらったりするのが許されない、そんな光のまぶしさなのである。何かしら、自分自身の決断と勇気が求められている、そんな、まるでわけのわからない、それでいて、自分が何かに向かっておいたてれているような、そんな、意志的で指向性をもった強制力である。そういう、光の強さ、まぶしさなのである。 しかし、同時にまた、自分自身といったものを、やりきれなく感じてしまう。自分自身のなかに、そうしたせっぱつまった指向性とか、目標といったものが、さしあたりないのである。そしてそれに気づいたとき、それまで緊張していた神経が、ポキッと折れてしまい、自己の内面へと戻り、閉じていって、いつもの日常へ、ごくフツーの、当たり前の日常へと帰ってゆく。 これが、3月の光のまぶしさ、そしてまた、そのもとでの精神のありさまといったものである。こうした精神、光のまぶしさといったものは、3月の風の動きにもよく現れている。 |