( 市)ルネサンスへ<2015-0918 感じ方、
3:自己放棄。
社会的正義などといっても、それは多数者の思い込みや気まぐれに左右されるものだし、それに、妬(ネタ)みやヒガミも当然混じっている。それは、テレビや新聞で見る通りである。 それは、ただたんに、大衆に迎合し、大衆が望む方向へと、なんでもかんでも理由をつけて正当化し、導いているに過ぎない。そうした方向が、そしてそれが目指すところが正しいかどうかということは、全く関係がない。そんなことは、だれも考えないのである。 それに、正しいと思って主張するマスコミの正義といったものも、仮にそれが正しいことだとしても、やはりそれは、間違っているとしか言いようがないのである。なぜなら、それは大衆自身がのぞんだことだからである。それは、自己放棄の極みといったものだからである。大衆自身が、自らの自由と責任を放棄した結果だからである。 自分自身の考えといったものがなく、自分のことを、自分で生きることをやめてしまった結果なのである。自分の考えというのを持たず、自分のリスクと、自分の責任で、自分の人生を生きようとしなくなったのだ。 |