( 市)ルネサンスへ<2015-0918 感じ方、
5:シキタリだけ。
自分というのが見つけられず、見失ってしまったことに自分も気づかないまま、思考というものが停止し、封印されてしまったのである。生きている自分というのが表明もされず、意識もされることもない、シキタリと習慣だけの世界になってしまう。まるで、パブロフの条件反射の犬のように。無意識の生理的欲求だけの世界になってしまう。 考えることも、悩みも、苦悩もない。ただたんに、だれか他人から、何かを与えられ続けられるだけの人間になってしまう。どこかで、自分というのを喪失しているのである。自分自身の一体性が破壊されて、自分が自分で無くなっているのである。日本の格言でいうところの、「私は、他人様によって活かされている」とは、このことなのである。 だから、このような状態では、何を聞いても見ても、それは実体を欠いたうつろな空想であるとしか言いようがないのである。現実を見失った魂(タマシイ)といったものが、むなしく虚(ウツ)ろな世界をさ迷っているに過ぎないのである。これでは何も見えてこないし、何も解決されない。だから、やはりそれは、間違っているとしか言いようがないのである。 |