(  市)ルネサンスへ<2015-0918 感じ方、



7:誘導。


しかしまた反面、ほかの言い方をすれば、そしてまた、もっとも気になる言い方をすれば、この普段よく見えなもの、気づかないもの、あるいは、見えにくく隠されているものの中にこそ、システムの輪郭、その限界と境界といったものが、よく表現されていると思えてくる。現実に見えるものよりも、見えないものの方に興味をそそられるのである。気になって仕方がないし、どうしょうもないのである。本能的に、無意識のうちに導かれ誘われてしまうのである。惹(ヒ)き込まれ、吸い込まれてゆく。

それと気づかないまま、知らぬまに入り込んでいて、出口を、逃げ道を見失いそうになっているのである。そうした危険な状態もままあるのである。こうしたことは夢にも、そしてまた、無意識の感覚の中にもよく現れてくるのであるが、それが何のことなのか自覚されることがないのである。ただただ、わずらわしく鬱陶(ウットウ)しいだけの感覚の障害やノイズとして感じらるだけなのである。本能的に避けるのである。

精神の矛盾、壊(コワ)れそうな意識といったものが、夢のなかで、そしてまた生活のなかで、なにか非現実的な感覚として現れてくるのである。つまりそれは暗示であり、示唆であり、無言の誘導であり、なにかの予感といったものである。なにか言い知れぬ、おびえや不安、恐れ、そして祈り、あるいは憧(アコガ)れといったものとして感じられるのである。

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