(  市)ルネサンスへ<2015-1016 光の向こう側、



2:印象。


夢のなかでは、人が地面に落とす影はなく、また、たいてい足はみえない。まるでユーレイのようであるが、夢の中では、足も影も、どうでもよいのであって、いわば、脳ミソが手抜きして作り出した夢の世界を見ているのである。そしてそれは同時に、自分の主観だけが支配する、思いこみと気まぐれ、理由なき情緒の衝動だけが支配する、自分だけの孤独な世界である。

うす暗い闇のなかから、行き場を見失った精神の、無意識の衝動がぼんやりと浮かんでくる。何がなにやら自分でもわからず、それが精神の闇の底から、シャボン玉のようにふわりと浮かんでくるのである。

それは白いカゲの表面が濃淡の、何かの模様として現れる。まるでマボロシのように。しかし、この表面の濃淡といったものは、かなり印象的である。それは夢の中なのであって、本来、何もないところで、自分でも意識されない世界を、自分自身で作り出した映像だからである。

だから、何かが見えるということは、つまり、自分が何かを見ようとしているのと、同じことになってしまうのである。その何かというのは、自分にとって、もっとも印象的な特徴が何かの象徴として、真っ先にぼんやりと見えてくる。

見えているのが例えば人間であれば、さしずめ「目」ということになる。そしてそれを中心に、鼻や口、アゴ、首筋などの輪郭がぼんやりと感じられ、見えてくる。そしてそれがつながって線となり輪郭となり、そしてその表面が見えてくる。落ち着いたところで、その人のおおよそのカタチが見えてくる。これがその人の姿である。

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