(  市)ルネサンスへ<2015-1016 光の向こう側、



4:うつる。


しかし、これだけは言えると思う。それは確かに何かの衝動であって、それも感情的なものであると。情緒でもないし、過去に自分が経験した何かの出来事の記憶でもない。それらとは切り離された、自分の中にある感情的なものである、と思えてくるのである。

なぜなら、見知らぬ人影が暗示し象徴するのは、感情以外にないからである。自分の中にある何かワケの分からない、というよりも、ワケなど不要で関係のない、感情そのものを表現していると、思えてくるのである。

だからまた、それが誰なのかなどということは、どうでもよいことなのであって、感情そのものにとっては、それは誰にもある、誰でもよいことなのである。だからまた、それが誰なのかいつまでたっても見えて来ず、それが誰なのか特定できる「目」というのが、いつまでたっても見えて来ないのである。人影というのが、誰かわからないまま現れては消えて行くのである。

そうして、その人影が表現しているのは、そうした人間の内面、心の中の衝動、あらゆる「理由」から切断された「感情」そのものであって、得体の知れない理由などどうでもよいことなのである。

苦しみや驚き、当惑、予感といったもの、人生の楽しみやうれしさ、苦痛などといった感情そのものが、何かのキッカケで衝動となって、中から押し出されて、浮かんできて、映し出されたのである。心の中から外の表面に映り、写り、移し出されたのである。そうした心の動きが、夢の中でイメージとなって表現された、ということなのである。

 戻る。              続く。

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